28歳で子宮体癌になっちゃった!

28歳6か月で子宮体癌を告知される IA期のためホルモン療法で妊活に向け奮闘中のハイパー無職

ブログのきっかけ


ブログをはじめてみようと思ったのが
タイトル通りこの年で子宮体癌になる人が少なく(60代がピーク)
病気をきっかけで結婚した現在28歳の私の記録を取っておきたいなあと
考えたからである👼


長年付き合ってきたパートナーと結婚はしたが
これから子供を考えるとなると再発率のことも考え
早く生まないといけないということで
いろいろ情報を得る&発信しようと思った次第であります。


私は仕事もしておらず旦那ともいきなり籍を入れることになったため
いまだに別居中…。
そんなちょっとスタンダードではない結婚生活の中で
このブログを自分を見つめ、日々の小さな幸せを
見つけていくきっかけにしていきたい💛

さぼりがちな近況


ブログ更新してない間に2回入院していました。
もうなんもやる気がしなくて家に引きこもりw


相変わらずホルモン治療を続けていて再来週の
病理結果で特に問題なければ次が最後の手術になるはず…。


暑いってのもあってひたすらだらだら生きてる昨今です。
気が向いたらまた記事書きます!

2020年2月 ステージ判明


色々な検査を終えてさあ運命の結果発表、2/3である。
早期発見でよかったねと二つの医院からお墨付き?は
いただいていたのでそんなに心配していなかったが
やはり心臓には悪い待機期間であった。


父が癌になったときはヤバいです、
今すぐなんとかしないと!と医療スタッフが
大慌てをしていたようでその話を聞くと
私のはまだゆっくり結果を待ちましょうといった
印象ではあったので気にしないように努めた。
※ちなみに父は今でもピンピンしている👼


癌が確定した時もそんなにショックは受けなかったが
もしかしたら死ぬかもしれないなあと
じわじわとした感情が心に染み込んでいくのを
感じていた日々だったので。


メンタルの部分でも問題を抱えていたので
クリニック通いをしていたのだが
皮肉にも、癌になったことによって
生きることに強制的に向き合わされることになった👼
結果的には人間いつか死ぬししゃあねえな
と開き直れた気がする。
(たまにメンタル調子悪くなるけど☠)


前置きが長くなったが結果的には


●子宮内筋層に浸潤も認められない
●他の部位に転移なし
●子宮内のみに癌がある


高分化型のⅠ期aという診断であった。


つまり、投薬治療で癌の消失を目指す妊孕性を
残す治療を受けることができるよ!ということである。
I期a以外の段階だともう子宮を取らないといけませんと
なるようで選択肢のある治療を受けれる
私はラッキーだなと思った。


もちろん、このホルモン剤による投薬治療は
癌の根治ではなく、あくまで妊娠できる期間を
延ばすための時間稼ぎだから、
いつかは子宮を取らなきゃいけないのかもしれない。
6-7割の人は癌が消失して妊孕性温存ができるけども
3割は癌が消えない、また消えても再発率も高い。
40歳以下の人や、妊娠希望の人にやる治療のようだ。


ホルモン治療を半年間うけつつ、内膜掻把を2か月に一回
受けることになるので入退院を繰り返すことになる。
(がん細胞が消えてるか、薬が効いてるかをチェックするため)


次は3月の終わりに入院しようねーという話だったが
先生が内診をするの忘れた(まさかの)ので電話があり
2/6ごろに再度病院へ。
そして、MRIを見た結果、内膜掻把した割には
内膜が厚いのが気になるので、
前回紹介元のクリニックの病理結果とは別に
もう一度ここでも内膜掻把受けましょう
ということになった。
3日ほど服用していたホルモン剤をストップし
2/20に入院が決定。


この結果を見て再度、ステージを確定する。
らしい👼


もうすでに入院の枠がいっぱいだったが、
先生が無理やりねじ込んでくれたので
なんとか2月中に手術が受けれることになった。

CT & MRI デビュー!


さて、まずは何より転移とステージの確認をしなきゃいけないので
CTとMRI受けることになりました。


その他検査(尿・血液検査・心電図・胸部レントゲン)は
診察後に一緒に受けたんだけどそれを知らなくて
おしっこしてしまったのでもっと早く言ってほしかった👼笑
病気の影響か頻尿になので腕の見せ所!と言わんばかりに
尿検査に臨んだ👼


なんだか健康診断みたいだなあとワクワクしていたが
まさかのCTとMRI別日になるというw


最初はCTを受けたのだがブラトップ派の私は大勝利なのである。


検査着に着替えたのだが造影剤を打つということで
ぼけーっと待合室で待っていたらなんと
注射器のようなものをぶっさしたまま歩いてるお姉さんが
でてきたではないか…!!


え?あれ私もぶっされるの!?
と思っていたらはい、ちゃんとさされました👼



これのままなるべく肘曲げないで歩いて移動してねー
と言われて無理やん・・・。となりながらも検査を受けました。


この注射器のようなものを通し
造影剤打たれたのだが、温かい液体が入りますよと
声を掛けられ「ふーん」と思っていたら喉元と陰部が
カアッ!!!!!と熱くなりビビり散らかす!


CTは息を止めてくださいなど指示があったが
10分足らずで終了。
造影剤の影響ですこしホワホワしたまま帰宅した。


その2日後にMRIを受けた。


MRIでも造影剤を打つので上のような注射器を再度ぶっさされた。
MRIは動きにとても弱く、とにかくじっとしてなきゃいけないということで
胃の動きを抑えるためにブスコパンを注射された。
内臓にもそれを求めるんかいと思わずツッコミ👼


MRI体験者の話を聞くと、とにかくうるさい、閉所恐怖症には耐えられない
などいろいろ大変そうなので私はどうなんだろうー
と思いつつ部屋へ案内される。


金属が含まれているものを持っていないかなど
割と細かいチェックが入り、機械の中へ。


横になりブザーを握らされてからの胸の上に重しを置かれる。
これがまた重くてすごく息苦しい!
呼吸を抑える為なんだろうけどトータル30分
息苦しかった記憶しかない👼
造影剤を打たれるが今度はなんか冷たくて
それはそれで気持ち悪かった…。耐えられるレベルだが。


ヘッドフォンから癒し系のクラシックが流れるが
苦しいし工事現場のような音がするしで
楽しんでる余裕など全くなかった…。


ガンガンピシャピシャゴンゴン!
時々音に合わせて揺れる!


夜中にこんな音出されたら
迷わず発生源にカチコミに行くレベルでうるさい。


上級者になるとこの状況で寝れるらしい。
次は私も少しは成長しているだろうか👼


そんなこんなで2/3にこれらの結果を鑑みて
ステージを判断する運びになった👼

2020年1月 大学病院デビュー


さて、そんなこんなで1/22
大学病院の産婦人科デビューしました。
紹介元の先生から渡された自分の細胞の標本と
紹介状を持ってやってきましたとさ。


まずもうめちゃくちゃ混んでるのと
産婦人科の隣が小児科なので
不妊治療が癌治療うまくいったとしても
必要といわれてる身としては
なんやねんこのつくり…。となるわけです👼
(まあそんなに気にしないけど前の病院が不妊治療やってて
子供もつれてこないでってとこだったからね)


しこたま待たされてからの若い先生とのご対面である。


今結婚しているか、パートナーはいるか、28歳なので
将来的に子供のことも考えていますか
などなどきかれ回答していく。
ついたてがないので隣の患者に丸聞こえである👼
ここが古い病院のいやなところなんだよな👼


その後、紹介されたえらい先生とご対面。
一応本当に癌なのかを病理標本から再度チェック
そしてCTとMRIで転移ないか調べようね。


ということになった。


もしI期Aという初期ステージでがんの顔つきが
高分化とよばれる良いものであればホルモン療法
と言ってがんの増殖を抑える投薬治療に行ける。
半年間投与してがんが消えれば不妊治療へ
こういったステップに行けるよとのことだった。


この治療が受けられるといいね


その言葉の意味を私はまだあまり理解はできていなかった👼


その後内診を受けるもエコーで見る限りは子宮筋層に
浸潤してないから初期の初期かもねとのこと。
カーテンの向こう側で何人かの声がざわざわ聞こえるので
こんなに複数の人に股見せたことないな…。と
人生初めての経験をかみしめたのだった👼


終了後、次の検査の予約を取って母とチキン南蛮食べた🐓